言語の不思議&人格に与える影響

昨日は妻の実家を訪問。
いつもながら、豪勢な料理をごちそうになった。
ありがたいことだ。

妻の両親が今月末にイタリアへ行くという話から、言語の話題へ。

まずは日本語の完成度の高さについて。
英語等には助詞という概念が無いが、日本語は助詞のおかげで細かい感情表現が可能である。
極端な話、手紙でも感情を伝えやすい。
一方、英語等は、言葉をジェスチャーや表情で補完して使っている。
豊かなリアクションは言語の違いから来ている可能性が高い。

次に外国語を学ぶ時の心がけについて。
妻のお母さんは手話の達人なのだが、あるレベルを突破すると、手話→日本語への変換を頭の中で行わず、手話の表現をダイレクトに「感じる」そうだ。
却って一度日本語に訳してしまうと、おかしいらしい。
これは外国語を学ぶ時にも同じことが言えるだろう。
英語は英語のまま捉えるべきだ。

ちなみに、手話学校で習う手話と、聾者が使う手話は全く違うらしい。
ネイティブと外国人の使う言葉が違うのといっしょである。
また手話にも助詞という概念がないせいか、聾者の感性は外国人に近いということだ。
新しい世界を垣間見た気がする。